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横浜合同法律事務所ニュース9

憲法改悪阻止の運動 ―四〇年前を振り返っての感想―

弁護士 畑山 穰

 一九六八年創立の当事務所は、今年、四〇周年を迎えますが、四〇年前の憲法改悪阻止運動を振り返ってみると感慨無量のものがあります。

 日本国憲法は、第二次世界大戦の敗戦を受けて生まれたばかりのほんの一時期、日本社会党の片山哲氏が首相となった内閣のときを除いて、中華人民共和国が成立する戦後世界情勢の変化のなかで、アメリカが冷戦構造に対応するため対日占領政策を日本の非軍事化からアメリカの軍事力補完のために再軍備させる方向に切り替えて以来、アメリカの重圧と日本政府及びもろもろの反動的な政治的、社会的勢力からの攻撃にさらされ続けてきました。

 なかでも再軍備の禁止と戦争放棄を謳った九条を中心とする平和と民主主義、基本的人権尊重の理念に攻撃が集中され、まさに、日本国憲法の歴史は、平和の方向へ歩みを進めて行こうとする人類史の進歩に逆行する反動的な潮流の敵意と破壊の策動にさらされ、これに対抗して、国民のなかの平和と民主主義、基本的人権を守ろうとするひとびとのたたかいの積み重ねでありました。

 憲法改悪を狙う勢力がまず実現しようとしたことは、憲法「改正」発議に必要な衆参両院議員の三分の二の多数を獲得するために、選挙法を改悪して衆議院議員の選挙区を中選挙区制から小選挙区制に変えてしまおうというものでした。

 そしてこの四〇年間、紆余曲折を経ながらもとうとう小選挙区制が導入され、今日、国会の改憲勢力の議席は、自民党、公明党の与党勢力に野党を称する民主党も加えて三分の二どころか九〇%以上の圧倒的多数を占め、憲法改悪阻止のために頑張っている政党は、日本共産党(衆院九名、参院七名)と社民党(衆院七名、参院五名)だけのわずかな議席となってしまいました。

 四〇年前、社会党が戦後一貫して優に三分の一以上の議席を占めていた当時、社会党の流れを汲む社民党が、今日、衆参両院ともわずか十指に足りない議席しかもたなくなってしまうことになるとは思いもよりませんでした。

 しかし、今日なお、日本国憲法は明文改悪されておりません。

 それはなぜか。ここには、国民の意思の反映があります。今日、憲法九条を守るという一点で結集した九条の会が各地、各職域で続々と結成され草の根の活動をくり広げるなか憲法九条の改悪に反対する国民世論はその改変を認めようとする意見を大きく引き離してほぼ三分の二を占め国民大方の意見となっております。

 結局、「改憲」については、国民の意思がこれを決定するわけで、一方、危機的状況を迎えながら、他方国民の憲法意識は九条を中心とする憲法の理念を深め定着させる方向へと正しく発展しているといえます。

 国民のなかにある平和への意思、民主主義を求め人権を擁護しようとするエネルギーに信頼し、油断することなく、また、労を惜しむことなく憲法を守り生活のなかに実現する努力を怠りなく励んでいくことにより、憲法改悪反対の目的を達成し、国会議員の構成でも国民の意思が素直に反映される民主主義が勝ちとられ、みんなが平和に幸福に暮らして行ける人権尊重の政治が実現されていくことになるでしょう。

 

よもやまばなし 追憶二題

弁護士 川又 昭

 1965(昭和40)年、司法修習生として私が横浜に赴いた年である。当時横浜市内には市電が走っていて、関内には嘗て米軍関係の施設だったと思われる“蒲鉾兵舎”がなお点在していた。

 6月、日韓基本条約が調印されたが、その夏、横浜地方裁判所に配属された私達司法修習生にとって、戦後はまだまだ終わっていないことを実感させられる「年齢別編成」という問題が発生した。

 ラストボロフ(スパイ)事件で起訴された無罪をかちとった外務省書記官、ビルマ戦線生き残りの旧陸軍大尉、旧航空士官学校生徒、旧特別幹部候補生(敗戦時陸軍航空兵伍長)の私なども含め、修習生の比較的高齢者だけを一括りの組とし、若年者を別の組に編成するという“組”編成の仕方を問題にしたのである。

 その意図の如何にかかわらず、隔離政策とみられかねない組の編成をすることは、決して好ましいことではない、今後こうした編成はすべきでないと修習生担当裁判官に申し入れると共に、青年法律家協会(青法協)修習生部会にこれを問題として提起した。その結果、港の見える丘公園にある「国家公務員共済組合連合会のポートヒル横浜」で青法協会員による抗議集会が開催されるに至り、その決議に基づき私を含む数名の会員が司法研修所に申し入れをしたのを印象深く覚えている。爾後、年齢別編成のなされた話は聞いていない。

 現在の“後期高齢者医療制度”とどこか似たところのある問題でもあったのかな、と今更乍らに思いかえしている次第だ。

 1975(昭和50)年、弁護士になって8年、この年4月に行われた神奈川県知事選挙は、私が抱えこんでいる労働事件とのかかわりで忘れ得ない選挙となっている。

 1967(昭和42)年4月から弁護士としての横浜共同法律事務所における仕事始めは、私の入所前から係属している労働事件を担当することだった。解雇事件が大部分であった。1969(昭和44)年1月からは横浜合同法律事務所員として、横浜地方裁判所本庁、川崎支部、横須賀支部、小田原支部と駈けずり廻っているうちに、解決の曙光が次第に見えて来たものだ。然し一向に解決の曙光の見えて来ない事件があった。

 勤務時間内にくい込む職場集会を理由に多数の職印が処分された神奈川県職労(当時)の事件である。横浜地裁本庁と神奈川地労委(現業)にその処分取消しを求めていたのだが、自由法曹団も加わる「県民連合」が長州革新知事を実現させたことによって、この事件は、まさに急転直下解決してしまった。

 時の勢いとその流れ如何では、こうした劇的結果をもたらすものなのだと、感慨深く思い返される事件である。

 

環境問題に取り組んで

弁護士 岩橋 宣隆

 今年は、弁護士になって30年目です。最初の10年間は川崎公害裁判に取り組んでいました。平成元年頃から、環境問題に取り組むようになりました。丁度、その頃から、公害・環境分野は、それまでの停滞期から新たな展開期に入り、今日に至っています。平成4年に地球サミットがあり、全世界的に「持続可能な発展」ということが言われ、それを受けて、翌年には、日本で環境基本法が制定されました。制定の背景は、第一に、都市・生活型公害(廃棄物、自動車排ガス、生活雑排水)の対策、第二に、身近な緑を守り、自然との触れ合いやアメニティーに対するニーズの対応、第三に、地球温暖化など地球環境問題に対する対策のためです。

 ところで、環境問題に取り組むようになってから、具体的事件を取り組むようになりました。最初の事件は、山梨県道志村のゴルフ場建設反対の訴訟です。平成2年12月に訴訟を弁護団7名で起こして、平成5年7月に勝利し、道志村の緑と清流を守ることができました。

 バブル経済がはじけた後に、里山の自然を破壊するようになったのは廃棄物処理施設の建設です。住民んから頼まれて弁護団を組んでやったのは、平成4年から平成7年まで、横須賀市野比の一般廃棄物最終処分場建設反対、平成5年から平成12年までの小田原市久野の民間の焼却施設操業反対、平成8年から平成16年までの横浜市神明台の一般廃棄物最終処分場建設反対です。全部勝利して、自然を守ることができました。

 訴訟以外に、「かながわ水・環境問題を考える会」の代表や「ヨコハマ市民環境会議」の共同代表などの自然保護団体で活動しています。特にヨコハマ市民環境会議の活動では、横浜市の地下室マンション問題を取り上げ、法律改正まで持って行き、最近では、都市の環境を破壊する「都市計画提案制度」を問題にしています。

 環境問題を取り組んできて、平成16年より、青山学院大学法科大学院で環境法学を教えたり、長野県の公害審査委員をしたりしています。

 事件だけでなく、横浜弁護士会の公害・環境問題委員会で、屋久島や白神山地、西表島、奄美大島、四万十川等、日本の残された自然を求めて毎年1回行っています。今年は7月に津島のツシマヤマネコの調査に行ってきました。

 

えん罪事件への取り組みと裁判員制度

弁護士 小口 千惠子

 横浜合同法律事務所に入所したのは1981年でした。当時は国政・地方選挙ともなると,警察は,共産党の票を減らすことに躍起となっていた時代で,共産党のポスターを貼るところを待ちかまえていて貼った途端に逮捕するといった弾圧を繰り返していました。憲法上政治的な表現の自由は民主主義にとって最も大切なものだと学んだばかりの新人にとっては,暮らしを守ろうとまじめに頑張っている普通の主婦が,あたかも重大犯罪を犯した犯人と同様,手錠と腰縄をつけられ,何人もの警察官に周りを取り囲まれて裁判所につれて来られる様子を見せられて,警察権力とはこういう風に使われるのかとびっくりさせられ,検察官や裁判官の無力さを肌で感じさせられたのでした。

 国家権力は決して公平ではない,政権担当者は自分たちの利益のために国家権力を使うのだということが分かったのです。

 私の刑事事件に対する姿勢はこのときに培われていったのだと思います。

 その後心血を注いだ国労人材活用センター弾圧事件。これは国鉄の分割民営化の反対運動が国民に理解され広がるのを恐れた国鉄当局と警察が,謀議してありもしない犯罪をでっち上げてその運動の中心にいた組合員を逮捕するという事件でした。私は幼い子を抱えつつも弁護団の中で最も多くの時間をこの事件のために費やしたと自負しており,さすがに無罪を獲得したときには本当にうれしかったのですが,他方,国家権力にとっては,逮捕して起訴したというだけで国民の声を圧殺することができたわけです。こうして,組合の力は弱まり,そして,その後の様々な民営化施策への大きな先例となったのです。

 このように刑事裁判とは,国家権力がその権力を維持するために利用されさえもするものであり,さらにまた,国家はその威信にかけても,国家が行った刑事訴追が誤っていたなどと認めないものなのです。

 最近は普通の人でも痴漢に間違われるなどし,濡れ衣であっても裁判では無罪を獲得するのが非常に困難であるということが,一般の人にも知られるようになってきました。警察と検察官は,起訴前にすべての調書を作り上げます。被告人やその他の第三者は,警察や検察の意向に沿わない調書は絶対に作ってもらえません。裁判は,これらの証拠のおさらいをするだけで,客観証拠はあまり重要視されません。ですから,無罪を獲得することが非常に困難なのです。

 裁判員制度は,何とか刑事裁判を正常化したいという切なる願いから生まれた訳ですが,裁判員に負担をかけないを合い言葉に,裁判前に準備を終えてしまい,裁判では,これまで以上に実質的な審理は皆省いてしまおうと計画されています。また,職業裁判官がこれまでと同様に「被告人である以上有罪」と考えているのに素人である市民がどこまで自分の意見を貫き通すことができるでしょうか。

 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の普段の努力によって,これを保持しなければならない」(憲法12条)。私たちは,困難であっても司法の民主化のために出来る限りの努力をしなければならないのだと思います。

 

地球温暖化 次の10年へ

弁護士 中村 宏

 地球温暖化の危機が叫ばれている。国際機関の予測では,産業革命以前と比べ2度以上地球が温暖化すると地球は取り返しのつかないダメージを受けるというが,現在すでに0.76度気温が上昇しているそうである。何の手も打たないと今世紀末には最大6.4度気温は上昇することとなるというのが科学者の試算である。しかし日本の二酸化炭素(CO2)の排出量は1990年と比較して6.2%増えている。10年前の1997年に京都で締結された議定書によれば,本来なら日本は2008年〜2012年の検証期間まで(1990年と比較して)6%減少させなければならない義務があるにもかかわらず,結果は宿題を守れないこととなりそうである。

 地球温暖化について関心も高く私たち一人一人も努力をはじめている。しかし各人の努力はむろん大事だが,実際には日本での家計関連部門からの排出は約20%,その他は企業・公共関連部分の排出である。排出量の50%は火力発電所や製鉄所などの大口排出者220事業所であるといわれる。その産業界はどうなっているのだろうか。基本的に産業界は規制に反対し「自主行動計画」による排出削減を主張する。しかし現にこの10年をみても排出増大が続いているではないか。これらの排出を制限するためには産業界任せではなく規制が必要であると私は考える。削減目標を明らかにした公的協定や,排出量取引制度などもそのオプションとなるだろう。

 また環境税も必要だ。環境税といえば,4月の道路特定財源問題騒ぎでは高率のガソリン税が燃油にかけられ道路建設にあてられていることを国民は十分理解した。福田内閣は一般財源化するとしながら暫定税率の延長を強行した。私たちがガソリンスタンドに並びながら,道路財源の不合理を感じることができたことは唯一の成果であったに違いない。しかしその税金を環境税として省エネ促進や代替エネルギーの促進などにあてるとすれば,また国民の考えも変わっていくと私は思う。

 この10年間で国民の意識は確実に変わっている。次の10年間には私たちは更に意識をかえていくこととなろう。そして確実に排出を減らしたいと思う。

 

米軍基地問題のこの20年

弁護士 高橋 宏
  1. 米軍再編と神奈川の米軍基地
     この20年、米国の米軍再編によって、神奈川の米軍基地をめぐる状況も大きく変わりました。特に、横須賀の原子力空母の母港化と、座間の第一軍団司令部の設置を中心とした基地の強化は、大きな問題です。
  2. 上瀬谷基地返還の闘い
     2008年の横須賀基地への原子力空母配備を念頭に、94年、ハワイ海軍研究所は、遊休化していた上瀬谷通信施設用地に、600戸の米軍住宅を99年着工で建設する計画を行いました。この計画が95年に発覚し、96年には上瀬谷懇が発足、自由法曹団が全地権者にアンケート調査を行い、その中から地主の森さんが立ち上がり、98年3月には上瀬谷通信基地土地返還訴訟を提訴する中で、99年の着工は行われなくなりました。
     一方、米軍は、99年11月、防衛施設庁に、「K21計画」を説明、07年度までに、厚木地区(上瀬谷・深谷)への750戸を含め、2008年3月の原子力空母母港化までに2000戸以上の米軍住宅を建設することを計画しました。しかし、02年4月、1500人を超える市民が、横浜市に対して、上瀬谷基地内の横浜市有地について、住民監査を請求、そのうちの150人が原告となって住民訴訟を提訴しました。
     この結果、03年1月には、4施設返還の協議方針が決定し、04年10月には、上瀬谷通信施設の全面返還をも含めた6施設返還が、日米合同委員会で正式に確認されました。米軍住宅建設の動きと、それを許さない、2つの訴訟をも含めた住民運動の激しい攻防の末、上瀬谷基地の全面返還が実現したのでした。
  3. 原子力空母母港化阻止の闘い
     ただ、他方で、米軍と国は、原子力空母母港化に向けて、池子の横浜市域部分への米軍住宅計画を進めています。
     また、05年の選挙で、原子力空母配備に反対を表明して当選した蒲谷横須賀市長が、06年夏、突如、受け入れを表明し、07年8月からは、原子力空母母港化のための浚渫工事が始まりました。このような中で、米軍は、08年8月19日に原子力空母ジョージ・ワシントンが入港することを一方的に宣言しました。
     これに対して、07年1月、横須賀市民は、住民投票条例の請求運動を展開、条例制定に必要な7000票余を6倍近く上回る4万1591筆を集め、さらに、08年には、さらにこれを1万筆以上上回る5万2417筆を集めるという、かつてない大きな運動を展開しました。また、07年以降、浚渫工事の差し止めを求める民事訴訟や行政処分の取消訴訟も提起され、裁判所においても母港化阻止の闘いが展開しています。この08年7月には、2週連続して、横須賀で、数万人規模の全国集会が開催される等、母港化を許さない大きな闘いが続いています。
  4. 米兵犯罪撲滅の闘い
     この原子力空母の母港化問題と並行して、横須賀で大きな問題となったのが、米兵犯罪問題でした。
     06年1月3日の強盗殺人事件(山崎事件)以降、06年9月の強盗傷害事件、06年11月の傷害致死事件、07年7月の殺人未遂事件、08年3月の強盗殺人事件等、米兵による凶悪犯罪が続発しています。このような中で、07年6月、米兵犯罪被害者の会が結成、多くの市民に、殺戮を目的とする軍隊の基地を受け入れていることの意味を、改めて問題提起しています。米軍・国の責任を認めさせて真剣な再発防止策をとらせること、根本的には神奈川から基地をなくすことへの切実な願いが、多くの市民に広まっています。
  5. 座間の闘い
     一方、座間への第一軍団司令部設置問題は、座間市、相模原市、大和市等、多くの地元自治体が、自治体を上げての反対運動を展開する等、かつてない広がりを見せて来ました。厚木基地の爆音訴訟も、平和勢力が一丸となって第四次訴訟を提起するなどの広がりを見せています。
     米軍再編とそれを許さない市民の闘いは大詰めを迎え、熱い闘いが続いています。
 

野庭高校いじめ自殺事件

弁護士 関守 麻紀子
  1. 高校1年生だった小森香澄さんは、同級生らからの心ない言葉などによるいじめを苦にして、1998年7月、自ら命を絶ちました。両親は、2001年7月、神奈川県と元生徒らに対して損害賠償の支払いを求める訴訟を提起しました。その訴訟が、2007年12月、神奈川県との和解成立をもって、終了しました。香澄さんが亡くなってから、実に、9年の月日を費やしての解決でした。
     香澄さんは、生前、お母さんに、「優しい心が一番大切だよ」と語ったことがあったのですが、私が訴訟活動を通じて知りえた香澄さんは、その言葉のとおりの優しい子でした。
     香澄さんやご両親に対する私なりの思い、法律的な論点など、述べたいことはたくさんあるのですが、ここでは、以下のことについてだけ、述べます。
  2. 両親にとって、かけがえのない我が子を失った悲しみがいかほどのものであるか、端からの想像を絶するものがあります。失われた命がもう返らないとすれば、せめて、我が子に何があったのかを知りたい、と両親は切望しました。両親が知り得ない、学校での香澄さんの様子。香澄さんが学校でどのように過ごし、誰とどのような会話を交わし、どのようなことで笑ったり、怒ったり、喜んだり、悲しんだりしていたのか。そして、なぜ死に至らざるを得なかったのか。
     ところが、両親には、これを知るすべがありませんでした。両親は、香澄さんの死後、学校に対して質問書を提出するなど、考えられる限りの方法をとって、最愛の我が子に何が起こったのかを知ろうとしたのですが、事実は明らかにされませんでした。やむなく訴訟に踏み切りましたが、訴訟の場でも限界がありました。学校側が得ている情報のすべてが両親に対して明らかにされることはついにありませんでした。
  3. 亡くなった我が子の生前の様子を知りたい、という気持ちは人として当然の心情と思います。また、事実を明らかにすることは、本件のような悲しい事件の再発を防ぐためにも、必要不可欠なことです。事実が明らかにされない限り、反省も、対策のたてようもないからです。
     学校側は、このような認識を持ち、誠実に対応すべきでした。他の生徒らのプライバシーに配慮した上で、事実を明らかにすることは可能です。そのような方法を模索すべきでした。
     本件のような事件の再発を防止するために、他者の権利に配慮しつつも被害を受けた側に対して適切に情報を提供できる仕組みを作ることが必要であると痛感しました。
     まさに、教育行政の意識と運用の転換が迫られていると思います。
 

神奈川建設アスベスト訴訟

弁護士 阪田 勝彦
  1. 「悪魔の鉱物」アスベスト
     アスベストは,天然に産出され,特有の繊維構造(アスベスト構造)を持つ一定の鉱物の総称であり,わが国では,その綿のような形状から石綿(いしわた,せきめん)と呼ばれてきた。
     アスベストは,大量に産出され,安価である上に,@紡織性(細くしなやかであるため,糸や布にでき,加工し易い)A抗張性(引っ張りに極めて強い)B断熱性,耐火性,耐薬品性,電気絶縁性,防音性,C親和性(他の物質との密着性に優れる)などの特質を有することから,その産業的価値は高く評価され,産業界からは「奇跡の鉱物」「魔法の鉱物」などと呼ばれていた。
     しかし、このような産業的に有用なアスベストは,同時に危険な発がん物質であることが古くから明らかになっていた。しかも、アスベストは物理化学的に極めて安定性が高く,通常の環境条件下では,ほとんど分解・変質することがない。そのため,環境備蓄性が極めて高い発がん物質である。つまり、一旦大気中に放出されれば、永久に消えることがなく、発がん物質が大気中を漂い続けるのである。
     このようにアスベストは劣化せずに半永久的に存在し続けるため,一度,体内に取り込まれたアスベストは分解,変質されることがなく,体内のアスベストは不断に細胞に対する悪影響を及ぼし続け,高い致死率を持つ進行性の悪性疾患である肺ガン,中皮腫等を引き起こす。またアスベストは超微細な物質であるため,肉眼で確認することは困難であり逃げることもできない上、肺機能で排出できる大きさに満たないため自力で体内から排出することができない。しかも、これ以上吸わなければ大丈夫という安全量は存在せず、ほんの少しの吸引でもがんを発症する危険がある。
     そのため,現在においてはアスベストは,「悪魔の鉱物」,「静かな時限爆弾」と称されるに至っている。
  2.  このようなアスベストは、戦後日本が経済復興を遂げていく中、大量に輸入されていった。その主な消費先は、建築資材であり、アスベスト含有建材を、大工などの建設労働者は、その危険性も知らされないままに、切断し、手でもみほぐし、吹きつけ、自らの身体の中に蓄積させ続けられた。
     アスベストは日本で大量使用される以前より、その発がん性が明らかになっており、問題点が指摘されていた。それにもかかわらず、我が国の国民にはアスベストの危険性が知らされないままに、多くの国民がアスベストに曝露(ばくろ)し、また、多くの建物の中に、分解されることもなくアスベストが眠り続けている。
     このようになったの何故なのか?
     国は、危険であることを知りながら、建築においてアスベストの使用を強制してきた。また、労働安全衛生の側面においてもアスベストの完全な規制を、理由をつけては回避してきた。アスベスト建材の製造メーカーも自らの利潤追求のために、その危険性には目をつぶり続けてきた。
     それは、アスベストの産業的有用性が理由である。安く性能のよいアスベストの利用によって、経済発展を遂げようと考えたからであろう。しかし、その代償は、建設労働者の生命であった。
     アスベストを利用した建築物は、今後10年間に次々に耐用年数が切れていく、アスベストは先に述べたように消えて無くならない。しかし、アスベストをくるんでいるセメントや塗料は劣化し分解してゆく。皮が劣化し、そこには眠り続けていたアスベストが次々と目を覚ましてゆくことになるのである。
  3.  それにもかかわらず、国は、アスベスト関連の法律を制定しても、不十分な救済制度等の制定しか行わない。国、企業の責任を認めないとその十分な措置は取り得ない。今、国や企業にアスベストに対する抜本的な対策を取らせなければ、今後増加し続ける解体作業などにおいて、さらにアスベストの被害者が増加してゆくこととなる。
     そこで、東京・千葉・埼玉・神奈川の首都圏在住の200名を超える建設労働者が、国と製造企業に対し、アスベスト被害の救済とアスベスト被害の撲滅を求めて提訴をした(東京地裁08年5月16日 横浜地裁08年6月30日)。
    二度とこのような悲劇を生み出さないために、必ず勝利しなければならない裁判である。ご支援をお願いしたい。
以 上
 

労働契約法の解説

弁護士 西村 紀子
  1.  労働契約法が、昨年11月28日に成立し、今年の3月1日から施行されています。
  2.  従来、労働契約については、労働基準法が、労働条件について最低限を定めるものとして機能してきました。
     ですが、労働基準法は、基本的に、労働条件の最低限の基準を規定し、これに反するものを刑罰をもって遵守させるものであるため、労働契約を締結した当事者間に生じる様々な場面に対応するものではありません。
     このため、使用者と労働者との間で労働契約上の問題が発生した場合に、その問題についての法律の条文がないため、これを補うために、裁判所が判決によって、多数の様々な理論を判例法理として形成してきたのです。例えば、解雇権濫用法理(解雇権行使が客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合には、権利濫用として無効となる。これは、2003年に労働基準法第18条の2として明文化されたました)、整理解雇の4要件(整理解雇が有効とされるためには、@企業運営上の必要性A解雇回避のための努力B人選の合理性C説明協議を尽くすこと、が必要)、就業規則の不利益変更の判断基準(必要性と合理性が必要)などは、判例によって形成されてきた理論です。
     集積されてきた判例法理は、労働運動の中で勝ち取られてきた成果であり、労働者を保護するものとして機能してきたと評価できるものです。しかし、法律の条文の形になっていないため、明確性を欠くことは否めませんでした。
     このため、これらの判例法理が法律の条文として明確に規定され、労働契約の成立から終了までの間に発生する様々な問題に対応する労働契約法の成立が強く望まれてきたのです。
  3.   今回、「労働契約法」が成立しましたが、わずか19条の条文により成るもので、労働契約上生ずる様々な問題に対応するものとは到底評価することのできない、極めて不十分なものです。
     これは、立法内容についての労使の対立が激しかったことによります。制定に向けた議論は数年に及びましたが、これらの議論を行っていた当時、新自由主義による労働ビッグバンなどという議論が横行し、使用者側は、解雇規制の緩和、解雇の金銭解決制度の導入などを主張する一方、労働者を保護する判例法理を明文化することに強く抵抗しました。
     今回は、これらの労働者の保護を危うくする制度の導入は阻止することができましたが、労働者を保護する判例法理の明文化も、極めて不十分なものにとどまってしまいました。
  4.  とはいえ、わずかでも、判例法理を労働契約法という形で明文化することができた点は、評価すべきです。改正のポイントは、以下のとおりとなります。
    (1)労働契約の締結の場面
      @ 労使が対等の立場での合意によるとの原則を明確化(第3条第1項)
      A 就労の実態による均衡を考慮し処遇(第3条第2項)
      B 情報の提供等、契約内容についての労働者の理解を促進(第4条1項)
      C 契約内容を可能な限り書面による(第4条2項)
      D 安全配慮義務の明文化(第5条)
    (2)労働契約の変更
      @ 労使が対等の立場での合意によるとの原則を明確化(第3条第1項)
      A 一方的に就業規則の変更により労働者に不利益な変更ができないことを明確化(第9条)
      B 労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他就業規則の変更に係る事情を考慮して、就業規則の変更が合理的な場合は労働条件が変更されること(第10条)
    (3)労働契約の終了の場面
      @ 出向命令について、使用者が命令権を濫用した場合には、当該命令は無効(第14条)
      A 懲戒の権利濫用は無効(第15条)
      B 解雇権濫用法理(第16条。労働基準法から移行)
    (4)有期労働契約について
      @ 契約期間中はやむを得ない事由がある場合でなければ、解雇できないことを明確化(第17条第1項)
      A 契約期間が必要以上に細切れにならないよう、使用者に配慮を求める(第17条第2項)
  5.  まずは、これらの内容を理解して、積極的に活用できるようにするとともに、この労働契約法を、労働者の権利を擁護する法律として、より充実発展させることができるよう、今後とも運動していくことが重要であると思います。
以上
 

無罪判決を経験して

弁護士 近藤 ちとせ

 2008年3月18日、当事務所の弁護士4人で弁護団を組んで取り組んできた強制わいせつ暴行被告事件について,横須賀地方裁判所(中鉢孝史裁判官)より無罪判決を獲得しましたので,ご報告致します。

<事件のはじまり>

 神奈川県横須賀市内で古書店を営むXさんは,2005年5月31日,その年の2月と3月に,同書店でアルバイトをしていた当時高校3年生のA女とB女に対してわいせつ行為などを行ったという容疑で逮捕されました。

 X氏は,逮捕以前の段階でX氏から,身に覚えのない強制わいせつ行為をやったと言われて困っている旨の相談を主任の阪田勝彦弁護士にもちかけていました。ところが,逮捕の翌日である6月1日、阪田弁護士が接見に行ったところ,X氏は,それまでとは異なり「やりました」と言っていました。しかし,阪田弁護士が,どのようにしてわいせつ行為をしたというのか等と問いつめたところ,X氏は,接見終了間際,「本当はやってない。でも警察や検察官は信じてくれないので、もう認めると言ってしまった」と言ったのです。

阪田弁護士の呼びかけにより,小口千恵子弁護士,田渕大輔弁護士の外,当時弁護士になって7ヶ月程であった私も加わらせて頂いて弁護団を結成しました。

<無罪を示す客観証拠の発見>

 刑事訴訟法によると,逮捕は,48時間しか許されず,その後は最長で20日間の勾留期間経過前に検察官は,起訴するかいなかを決めるのが原則とされています。X氏は,逮捕後まず20日間勾留されましたが,この勾留期間が満了する以前の段階で,弁護団は,犯行現場と言われた古書店におもむき、捜査機関が見落とした無罪を示す客観証拠を発見しました。それは、店舗にある買取レジのジャーナル(レシート記録)でした。つまり,A女は、2005年3月1日午後5時30分から午後6時までの30分間、わいせつ被害にあったと主張していました。またB子は、2005年2月28日午後4時30分から5時までの30分間被害にあっていたと主張していました。ところが、発見されたジャーナルによれば、A女は,3月1日午後5時40分ころCD、ゲーム等を売りに来た客の接客をしていたこと,またB女が被害を受けたという2月28日には、午後4時45分に、約50冊の単行本を売りに来た買取客が来店していることが判明しました。この客観証拠に照らせば、A女やB女は,お客のためにレジ打ちや商品の買い取りなどの仕事をしているときに被害にあったということになりますが,その様なことはありえないことでした。

 このレジジャーナルの発見を受け,弁護団は,検察官と連絡をとり,被害者の言っている時間に犯行はありえない,よって,X氏を起訴すべきではないと説得しようとしました。

<暴走する捜査機関>

 ところが,検察官は、これを受けて、起訴を思いとどまるどころか,A女やB女を呼び出し、彼女らが犯行時刻であると言っていた時間の方をレジジャーナルと矛盾しないようにずらすと共に短縮するというとんでもない方法に出ました。

 検察官は,A女とB女の供述内容を変えさせた上で,6月19日,A女についての勾留満期前日,X氏をB女に対する強制わいせつ容疑で再び逮捕し,その翌日である6月20日,X氏をA女に対する強制わいせつ被疑事件として起訴したのです。B女に関しては,起訴がされないまま,刑事訴訟が始まりました。

<25回にわたる公判、証人尋問14人>

 刑事訴訟が始まると,検察官は,はじめに検察官が自分の手持ちの証拠を出すことになっていますが,この事件の担当検察官は,自称被害者であるA女,B女などが被害の状況などについて話した記録(供述調書)のほとんどを隠したままで開示しようとはしませんでした。A女,B女は,検察官の勧めに従って犯行時刻などを変えていたため,変えた後の記録だけを出して,変える前の記録を隠蔽する作戦であったことは明らかでした。そのため,裁判が始まった後,弁護団は,証拠開示ない以上、証人尋問には絶対に入らせないという姿勢で臨み,3回の公判期日を費やして隠蔽された証拠を開示させました。

 証拠開示が認められた後は、早々にA女についての証人尋問が行われることになりました。A女尋問にあたり、小口弁護士や阪田弁護士からは「A女がなぜうそをついているのか,嘘の供述をした動機が必ず問題となる」「A女が嘘をついた理由と,この事件の本当の姿(=真実のストーリー)は何かを考えなくてはならない」と言われました。本件は、電車内痴漢事件などの様に「人違い」という反論ができる事案ではなく、「被告人がやったか,自称被害者が嘘をついているかのどちらか」という事件の存否が争点になるため,裁判官に無罪判決を書かせるには,自称被害者が積極的に犯罪を「作り上げた」理由が説明できなければならないということだったのです。そのために,弁護団だけでなく,X氏の妻,3人の子供,X氏の姉,姉の夫,X氏の古書店のアルバイトの店員さんまでもが何度も何度も集まって,本件の真実のストーリーは何であろうかと頭をひねり合いました。

 そして,A女の尋問は,主尋問反対尋問合わせ計4回の期日にわたって行われ、A女は多くの矛盾をさらけ出したのです。

 ところが,起訴から半年以上が経過したこのA女尋問の最中に,検察官はこともあろうかB女についてX氏をさらに起訴したのです。A女だけでは事件を維持できなくなったため,B女についても起訴して何とか事件を維持しようという魂胆は見え見えでした。

 しかも,このB女に関する起訴が一因となり,X氏にとっては非常に過酷な状況が作り出されました。それまでに弁護団は,数回に亘りX氏の身柄を解くように裁判所に対しX氏の保釈請求をしてきましたが,X氏は,A女の尋問が終わっても保釈がみとめられず,保釈が認められるに至ったのは、B女尋問、A女の親、伯母、B女の親、3人目の被害者と名乗る女性(C女)など検察側の証人尋問が終了した後,逮捕から実に1年半も経過した後となったのです。

<罪人のように扱われない権利>

 本件事件は、最終的には「被害者の証言は断片的で首尾一貫しない。多数の重大な疑義があり、事件性そのものがなかったことをうかがわせる間接事実も一再ならず存する」とされ,X氏の全面的な無罪判決となりました。

 それは,弁護団に加わらせて頂いた弁護士として無上の喜びでした。

 しかし,同時に,この様に無罪の人間が,女子高校生からわいせつ行為をしたといわれただけのことで,1年半ものあいだ拘置所に入れられ,罪人の様に扱われなければならなかったという重い事実が暗く心の中に残りました。

 最近は,テレビの報道でも,被害者は可哀想なもの,被害者の権利が保障されなければならないということが大きな声で叫ばれるのをよく耳にします。そのせいか,私も,ときどき「弁護士は犯罪者の味方なのか」などとなじられたりすることもあります。

 しかし,その様に言う人々は,「誰であっても心ない人間から犯人扱いされる危険と背中合わせで生活している」ということを知らないか,忘れてしまっているのです。だから,弁護士は,X氏の様に無実の人が犯人扱いされないようするために働くことが責務なのです。

 これから裁判員制度も導入されようとしていますが,無実の人を罪人にしないようにするにはどうしたらよいかは,本当に難しい課題であると感じています。    以 上

 

自衛隊イジメ自殺裁判と文書提出命令

弁護士 田渕 大輔
  1. 自衛隊イジメ自殺裁判について
     現在、私は、阪田、西村両弁護士の他、神奈川県内の6つの法律事務所の8名の弁護士で構成されている弁護団の一員として、護衛艦「たちかぜ」イジメ自殺裁判に取り組んでいます。
     事件の概要を説明しますと、海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」艦内において、古参の2等海曹が、複数の後輩隊員に対し、日常的・恒常的に殴る、蹴る等の暴行を加えたり、アダルトビデオやCD−ROMの代金という名目で、現金を脅し取るといった行為を繰り返していたために、先輩隊員からのイジメを苦にした21歳の後輩隊員が、自ら命を断ったという事件です。
     この事件は、まず刑事事件として立件され、平成17年1月19日、加害者の2等海曹は、横浜地方裁判所横須賀支部において、暴行及び恐喝の罪で懲役2年6月、執行猶予4年の判決を受けました。
     しかし、問題の本質は、「たちかぜ」の幹部たちが、2等海曹の犯罪行為を知りながら放置していたことにあると考えた両親は、加害隊員本人及び国を相手に、損害賠償を求める民事訴訟を提起したのでした。
  2. 裁判所の文書提出命令
     国相手の訴訟では、情報が国の手元に偏在しているため、真実に容易に迫れないという事態が往々にして生じます。本件も、刑事裁判の記録等から、先輩隊員による後輩隊員へのイジメについて、ある程度の情報は得られていましたが、情報量として十分とは言えませんでした。
     そこで、弁護団は、横浜地裁に対し、国が保有している本件に関係する文書について提出を求める申立を行いました。この申立に対し、横浜地裁は、一部の文書について提出を認める決定を下し、その後、双方からの即時抗告を受けた東京高裁は、弁護団が提出を求めた文書の大部分について、国に提出を命じる決定を下したのでした。
  3. 国が提出を拒む理由のある文書はなかった
     文書提出命令によって得られた文書には、件の先輩隊員による後輩隊員への暴行、恐喝が、「たちかぜ」艦内において日常的に行われていたことや、艦内において、先輩隊員の犯罪行為が周知の事実となっていたことを裏付ける内容が多数記載されており、訴訟提起以来の、こちらの主張を裏付ける資料を多く入手することができました。
     他方で、弁護団が文書を検討して感じたことは、提出された文書に、国が躍起になって隠さなくてはならない程の機密性など微塵も認められないということでした。そもそも、今回提出の対象となった文書は、問題の事件に関連して作成されたものでしたから、軍事機密等、国家の安全に関わる機密性の高い情報など記載されているはずもないのです。それなのに、国は、弁護団が文書提出命令の申立を行ってからも文書の提出を拒否し続け、結局、文書提出命令手続だけで、2年近くの歳月を費やす結果となりました。
  4. 今回の文書提出命令の意義
     国や大企業相手の訴訟では、情報が国や大企業の側に偏在しているため、個人の側は圧倒的に不利な立場で訴訟に臨まざるを得ません。そのような不公平を解消するために存在する制度の一つが文書提出命令という制度です。
     もっとも、ありとあらゆる文書が提出命令の対象となるわけではなく、裁判所の判断次第で、提出命令の対象は広くも狭くも解される余地があります。そのような中、今回の文書提出命令手続では、即時抗告の結果、横浜地裁で判断された以上に、より多くの文書を対象として、東京高裁で提出命令を得ることができました。これは、今後の同種事件における、文書提出命令の範囲を広げることにつながる結果であると言っても過言ではないかもしれません。
     ただ、あくまで文書提出命令という制度は、本体の訴訟の審理のための制度です。今回の訴訟も、本体の訴訟の審理自体は、まだまだ続きます。最終的に良い判決が得られなければ、文書提出命令で良い結果を得たとしても、意味がないでしょう。だからこそ、今後も、今回の事件における国の責任を認めさせられるように、頑張っていきたいと思っています。
 

第6回横浜合同法律事務所9条の会企画
〜演劇「族譜」と創氏改名〜

弁護士 宋 惠燕

 2008年6月5日、神奈川県立青少年センターにおいて、横浜合同法律事務所9条の会第6回企画がありました。
 今回は、青年劇場の話題作「族譜」(原作=梶山季之、脚本・演出=ジェームス三木)の演劇鑑賞の前に、早稲田大学非常勤講師の宋恵媛先生による講演「小説『族譜』を通して見た創氏改名」を行いました。宋先生には、「族譜」の背景となっている創氏改名の歴史的背景や論点など多岐に亘って講演してもらいましたが、ここでは創氏改名の強制性に絞って紹介したいと思います。

  1. 創氏改名とは
     もともと、朝鮮には名字としては伝統的に「姓」のみがありました。創氏政策というのはこの「姓」の代わりに、天皇を中心とした日本のイエ制度の基礎となる「氏」を創ることです。1940年、朝鮮の統治機関である総督府は、まず「自発的」に氏を創るように届出期間を設定し(設定創氏)、半年の届出期間経過後は朝鮮人全員に対して、朝鮮風か日本風かを問わず一律に「氏」を付与しました(法定創氏)。つまり、全ての朝鮮人が法律名としての「姓」をこのとき否応なく奪われたのです。
  2. 強制の実態
     「自発的」な創氏届である「設定創氏」も、その多くが朝鮮の地方役人などによる強制によって行われていました。例えば、日本風の名にして創氏届をしないと渡航許可を出さない、進学や就職に不利になるようにする、といった事例が報告されています。また、日本式の皇民化教育が導入されていた朝鮮の学校では、創氏をしていない子供たちに教師が圧力をかけるということもありました。つい最近には、創氏届に関する釜山地方法院の指示文書が発見され、公権力による関与の証拠として大きな話題となりました。
     今でも、揚げ足取りのような形で「強制はなかった」と強弁する例が日本では後を絶ちません。しかし、植民地被支配者に本当の意味での自由意思などあり得ません。創氏改名は、朝鮮民族とその文化・伝統の抹殺政策だったということができるでしょう。
 

ファントム墜落事件と米軍問題

弁護士 浅川 壽一
  1.  今から三一年前の一九七七年九月二七日、米軍の艦載機が、横浜市緑区(現在の青葉区)の住宅街に墜落し、墜落現場付近は火の海となりました。この事件で、幼い裕一郎くんと康弘くん、そしてお母様の林和枝さんが亡くなりました。
  2.  当時、私は一〇歳でした(以下は私が報道を見た記憶に基づいて記述します。誤りがありましたらご容赦ください。)。
     私の記憶に残っているのは、テレビのニュースで記者が涙を浮かべながら報道していたこと。連日の報道をみて、私の母が涙ぐんでいたこと。裕一郎くん、康弘くん、和枝さんが病院に搬送されたこと。お子さんたちは病院に搬送後、相次いで亡くなったこと。しかし、和枝さんにはその事実は当初伝えられなかったこと。数年後、和枝さんも亡くなったこと。
     もはや、涙なくして語ることはできません。
    この事件は、当時一〇歳であった私の記憶に、鮮明に焼き付いていました。思春期の始まりの頃であったせいでしょうか。あまりに悲惨な事件であったためでしょうか。
  3.  やがて私は、再びこの事件に出会います。2年前の夏、司法修習生として当所に研修に来たときのことです。指導担当の高橋弁護士とともに裁判所に向かうとき、声をかけてきた男性がいました。その方は、今でも米軍問題について中心となって活動なさっている椎葉さんです。高橋弁護士から、「ファントムが墜落した事件知ってる?」と尋ねられ、椎葉さんが事件の被害者であることを知らされたのです。そして、当所がこの事件に関わっていたことも、そのときに知ったのでした。
  4.  昨年、事件から三〇年が経ちました。今年に入って、事件を語り継いできた和枝さんのお父様である土志田勇さんが亡くなりました。
     しかし、米軍をめぐる悲惨な事件は、現在も続いています。横須賀で発生した空母乗組員による女性強盗殺人事件。タクシー運転手殺害事件。そのほかにも、タクシー運転手が料金を踏み倒された上暴行を加えられた事件など、米軍をめぐる事件はいっこうに無くなりません。
     さらに、この夏には原子力空母が横須賀にやってこようとしています。単に原子力空母と言うとピンとこないかもしれませんが、要するに、武器や航空燃料などの爆発物を満載した船に、原子力発電所が設置してあるということです。我が国の原子力発電所のすぐ隣に自衛隊の火薬庫があったら、みなさんはどう思うでしょうか。
     ファントム墜落事件のように、なんの罪もない一般市民が、戦争の道具によって引き起こされる事故に巻き込まれてしまうのです。私達は、米軍の問題に無関心であってはなりません。私達自身の問題として、真剣に受け止める必要があるのです。
 

憲法劇出演

弁護士 田井 勝
  1.  6月20日と21日、神奈川県立青少年センターホールで憲法劇「がんばれッ!日本国憲法」公演が開催されました。神奈川の憲法劇は、1987年から毎年、上演を続けている(今回で22回目)、市民参加型、生バンド付のミュージカルであって、現在起きている社会問題や事件を題材にした演劇であり、その憲法劇に今回、わが事務所から、浅川弁護士と私が参加させてもらいました。
  2.  私の役は、生活保護の申請に立ち会う弁護士役。生活保護の受付窓口で、職員から保護申請を拒絶されるばかりでなく、申請書さえ渡してもらえなかった人を救う弁護士です。公演まであと2週間前に憲法劇事務局の方から出演の話を受け、全くの演劇素人である私がこの役を本当に演じきれるのか不安に思いつつ、とりあえずは毎晩、家で一人台本を読み始めることとなりました。
     初めての稽古。仕事帰りの疲れた中、紅葉坂にある青少年センターの稽古場に向かったところ、「棒読みじゃないか!」「声が小さい」「姿勢が悪い」「反対尋問のようにできないの?」等々、演出家から何度も何度も多くのダメ出しを受け続ける形となりました。その後の稽古でも、多くの指摘を受け、帰宅途中の電車の中で「いっそ当日、休もうかな…」などと考えてしまうこともありました。
  3.  そんな中、事務所のとある弁護士から「この憲法劇は、弁護士が作った演劇なんだよ」と言われ、憲法劇にかかわった多くの弁護士の話を聞きました。憲法劇の歴史、意義を聞き、せっかく出る以上は一生懸命やらないといけないな、と自分を再び奮い立たせました。
  4.  当日、セリフを噛んだり、立ち位置を間違えたり等のミスはあったものの、なんとか無事終えることができました。稽古場での他の出の多くの励ましやら、最終的には少しだけほめてくれた演出家の方のご指導等により、憲法劇に迷惑をかけない程度のことは出来たのではと思います。
     出演後、客席から自分の出番以後の憲法劇を見させてもらいました。出演者が皆輝いており、素晴らしいものでした。劇の内容も難しかったり、固かったりするわけでもなく、明るくかつわかりやすくて、何よりもみている人が元気になれる、そんな演劇だったと思います。実のところ、私自身これまで一度も憲法劇を見たことがなかったのですが、その素晴らしさに驚き、この舞台に自分も立っていたのだと思うと、少しだけ誇らしく思いました。
  5.  「終わるとさ、またやりたくなるんだよ」と、ある弁護士から言われました。稽古はきつかったけど、今回味わった多くの感動はなかなか忘れることができません。来年以降、今よりも私の仕事等が忙しくなっていて、参加のチャンスはなかなかないかもしれませんが、何らかの形で憲法劇にかかわることができたらと思います。
     また今後は、私が舞台で演じた弁護士の如く、相手方や裁判官の前でも全く物怖じせず、依頼者のために闘える弁護士に少しでも近づけるよう、頑張りたいと思います。
 

編集後記

 

 1980年から27年半、事務局として勤務されていた大田順子さんが退職されました。法律事務職員として優秀で頼りになる存在でした。近年はOAの担当者としても、システムの導入、業務の効率化に力を尽され、事務所の発展に貢献してくれました。長い間、お疲れ様でした。

 田井弁護士が出演した「憲法劇」。小職も、チョイ役で出演。とても良い経験になりました。天候がすぐれなかったためか、昨年より入場者数は減ってしまいましたが、昨年に引き続き内容はどんどん良くなってきています。ぜひ、来年に繋げたいです。多くの方々の参加をお待ちしています。来年は、踊ってみようかな?

 さて、弊所は開所から四〇周年を迎えます。そこで、今号は四〇周年特集を組みました。四〇年という歴史を振り返り、先輩弁護士たちが築いたものを私達若手弁護士が受け継いでいかねばと、改めて感じている次第です。

 本ニュースの原稿を執筆するほか、記念イベントを準備するためのアンケート、アイデア募集、記念誌の準備、弁護士たちは締め切りに追われています。原稿などを催促する立場の(気の小さい)小職は、いつもドキドキ。締め切り、間に合うのだろうか・・・。(あ)

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